○○したいと思う人は損をしている!?

こんにちは。

私は一時期人を誘う行為、ひいては何かをしたいという感情についてある疑問を抱いていました。

それは、もし誘ったものの相手がその誘いに乗ってこなかった場合、誘うという行為をした人のみが損をするというものです。

この話は抽象的でわかりづらいのでもう少し詳しく例を示します。

例えば、AさんがBさんを2人での遊びに誘ったとします。しかし、何らかの理由でBさんがその誘いを断ったとします。この時、「Aさんの遊びたいという感情」と「Bさんの遊びたくないという感情」という本来同価値であるはずの2つの感情のうち、後者が優先されたことになりますよね。

このことは、こう言いかえることもできます。○○したいと考えた人の意見は無視されていながら、○○したくないと考えた人の意見が採用されている。そして、○○したいと考えた人の○○したいという欲望は満たされないが、○○したくないと考えた人の○○したくないという欲望は満たされる。

つまり「○○したいという感情よりも○○したくないという感情の方が優先され、○○したいと考えたことが実現されなかった時に損をするのは○○したいと考えた人だけである」と。

次に、AさんがBさんを何らかの理由でいじめたいと考えていたとします。そしてBさんはいじめられたくないと考えていました。この場合は、いじめという感情では片づけられない道徳的な価値基準もあり、いじめが許されないことは当然理解できますし、いじめがあってはならないと思いますが、Aさんの感情よりBさんの感情が優先されたという点ではAさんは蔑ろにされたともいえると考えました。

 

このように、すべての人が平等でその人の考えることはどんな人であっても社会に悪影響が及ばない限り尊重されるべきという社会にありながら、何かをしたいと考える人よりも、何かをしたくないと考える人の意向の方が優先され、さらにその不利益を被るのは何かをしたいと考えた人だけであるということに対して、納得できる説明を自分の中で思いつくことができませんでした。

 

しかし、先日納得のいく説明ができる例が思いつきました。

それは、Aさんを工場やお店、Bさんを消費者に例えるものです。

より詳しく説明しますと、例えばAさんは工場を持っていて新しい製品を作ったとします。しかし、Bさん(この例の間以下消費者)はその新しい製品が0円であっても全く必要としていませんでした。

この際、Aさんの作る新しい製品がいくらであったとしても、消費者が需要することはないので、Aさんはその製品を作れば作るだけ損をします。

ここでAさんが新製品を製造しても売れなかったために損をしたからと言って、消費者にその損をした分の補償を求めることはできません。それは、Aさんが消費者が欲しいと思える商品を作れなかったからであり、消費者に責任はありません。

これと同じことが人を誘う場合にも起こっているのだとするとすんなりと理解することができました。

 

つまり、AさんがBさんと何かしたいと思っても、Bさんがしたくないと思っている場合、AさんはBさんが欲しい製品を産むことができておらず、それが買ってもらえない(誘いに乗ってもらえない)のはAさんの責任であり、Bさんが責任を負う必要性はありません。

したがって、人を誘った責任を取る(誘いが成立しなくてもそのことによる損を受け入れる)必要があるのはAさんのみだと言えるのです。

 

このようなプロセスを経て私の疑問は解決したのですが、このことを相談した友人のうちの1人がこのようなことを言っていました。

それは、「せっかく誘ってくれたんだから断る場合は謝るなりフォローアップをしてあげたほうが優しいし、誘った側のダメージも小さいし、今後の関係も丸くなりやすいよね。」というものでした。

これを聞き私は、もし自分が誘われてそれを断るときは絶対に一言付け加えることを心掛けようと思いました。がんばります。

 

それでは。